【台北/台湾鉄路】台湾鉄道の台北市内地下化後の用地跡はどうなっているのか?

台湾
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台湾鉄道の縦貫線は、隣町の新北市にある板橋(バンチャオ)から台北市内を通って南港(ナンガン)までの地下化工事は既に完成しています。台北駅は現在、高鐡も含め地下にホームがあり、地上には巨大な平屋のように見える駅舎が建っていますが、この駅舎は4代目にあたり、それ以前は駅舎、ホームともに地上にありました。

東京でも、小田急線の立体交差化が完成した下北沢駅や地下化が完成した京王線の調布駅では、今はまだ途上ですが線路跡の活用計画に沿って整備が進められるようです。また、古くは同じ京王線が新宿駅に地下乗入れをした際の地上線跡を探ってみるのは楽しいものです。

そこで、台北市内地下化後の台湾鉄道の線路跡はどうなっているのか、ちょっと探ってみましょう。

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台湾鉄道の台北市内地下化

台鉄縦貫線の地下化工事は以下の通り進められ、現在新北市の板橋から台北市内南港を経て新北市汐科(の手前)までの地下化区間、その先五堵までの高架化も含めて踏切がなくなりました(そのさらに先の基隆市八堵〜三坑までは踏切がありません)。

1989年9月 萬華(の手前)~台北
1994年6月 台北~松山(の先)
1999年7月 板橋~萬華(の先)
2008年9月 松山(の先)~南港~汐科
(「手前」は東側、「先」は西側になります)

なお、現在は高鐡も南港まで地下で走っています。

台北駅地下化工事

地下化以前の台鉄では西門町付近を中心に渋滞が激しく、終日交通は麻痺していたようです。それを一気に解消しようとしたのが、この地下化工事でした。当時の台北駅は地上駅で縦貫線のほか、淡水線(一旦廃止の上、MRT淡水線に切替)のホームもあり、駅は現在の桃園捷運(空港MRT)の台北駅付近にあり、その東側には大きなヤード(操車場)が広がっていました。

現在も「台北後火車站商圏」と呼ばれるショッピングエリアが残っています。当時の台北駅は南側がメイン出入口で、北側が裏口(後(火車)站)でした。市民大道・承徳路・長安西路・重慶北路に囲まれた一帯が「台北後火車站商圏」で、バスタ台北(とは言いませんが、台北轉運站)やQスクエア(京站)、パレデシン(君臣酒店)の裏手辺りで、問屋街として知られる太原路や華陰街がその中心を走っています。胡椒餅をこの辺で買った方も多いと思います。



現在の新駅舎はそのヤードを敷地として建設されました。旧駅舎は使用しながらの工事は1989年6月に完成して、この区間の縦貫線の地下化が完成しました。

市民大道

その台北駅の北側に走る広い道路(高架道路と二層建て)、市民大道は台湾鉄道が地下化された跡地を利用して作られた道路です。この先饒河街夜市のある松山駅を経て南港駅付近まで伸びています。ここを地上線時代の台鉄が走っていました。


華山大草原/中央藝文公園

日本統治時代には、台北駅に隣接したヤード(操車場)のさらに向こう(東)側に貨物駅が設けられていました。樺山駅(かばやま)で、広い大きな貨物ヤードがありました。駅名は初代台湾総督の樺山資紀にちなんで付けられました。戦後はそれを嫌って木編がなくなり、華山駅に変わりました。

1986年に貨物の取扱いが南港貨物駅に移管され、華山駅は車場となって台鉄地下化工事の資材置場として使われたあと、地下化工事の終了に伴い完全に廃止されました。

朝食の名店「阜杭豆漿」のある華山市場ビルから忠孝東路を渡り(MRT板南線善導寺駅からも)林森北路を北上して市民大道の手前にあるのが華山大草原で、ここが樺山(華山)駅跡です。駅舎も林森北路沿いに見る影もなく残念な姿ですが残されてはいます。ヤードはその隣中央藝文公園にかけて広がっていました。


以前はその名の通り一面に草原が広がっていました。外周はアスファルトになっていてランニングや太極拳をする人で朝から賑わっています。少し前にこの草原の真ん中にフェンスが張られ、無粋なことにならなければ良いのにと思っていたのですが杞憂に終わり、児童遊戯園が完成していました。





松山駅までの地下化が完成する前にはこの付近から地上に出るようになっていました。その跡がこの画像になります。

台北機敝

台北機廠(台北機廠松山旧廠)は松山文創園区に隣接しています。現在は車両工場としての機能は桃園市郊外に新設された富岡車両基地に移転されています。2015年に中華民国文化部により国定古蹟の指定を受けています。華山駅の向こう、松山駅の手前に位置しています。


この誠品のホテル「誠品行旅」、MRT市政府駅近くの高校「松山高中」の向こう側に位置しています。

逸仙公園

鉄道遺跡ではありませんが、華山大草原から台北駅に向かって市民大道の下を歩くと前方に見えるのがこの逸仙公園です。公園の名前は孫文の号、逸仙に由来しており、この建物は日本統治時代の割烹旅館梅屋敷でした。国光客運の地上バスターミナルのすぐ横になります。



台北市内の道路の名前(おまけ)

台北市は、東西および南北に貫くいくつかの道路が走っています。

南北に走る道路は中山・林森・新生・松江・建国・復興・敦化、また東西に走る道路は信義・仁愛・忠孝・市民大道・南京・民生・民権・民族と名前がついています。

この中心になるのが東西に伸びる忠孝(西・東)路、南北に伸びる中山(北・南)路で、これらを跨いで走る道路は、南北に走る道路の場合、忠孝路(東の方は八徳路)を境として各々○○北路・○○南路(中山路は忠孝路より上が中山北路、下が中山南路)、東西に走る道路は中山路を境として○○東路・○○西路(南京路は中山路の右が南京東路、左が南京西路)となります。

覚えておくと便利ですよ。

まとめ

簡単に台鉄の地上線跡について振り返ってみました。食事や買物のついでに、こんなことを思い浮かべながら街歩きするのも、楽しいのではないでしょうか。MRTは便利ですが、地下に潜ってばかりだと街の姿がなかなか見えてこないかも知れません。

それでは、台湾🇹🇼でお会いしましょう! 大家台湾見!

コメント

  1. […] […]

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