この「レッスン記」も会を重ねて8回目となりました。
前回の「レッスン記7」では僕自身4回目の発表会についてお話ししました。ここで現代音楽の響きやリズムにどっぷり浸かったこともあり、しばらくはロマン派の世界に触れていたかったようです。
お話が前後してしまいますが、2度目の「大人の発表会」参加までのレッスンについてお話ししていきたいと思います。
最後までどうぞよろしくお願いいたします。
前回までのお話
第7回「発表会はヒナステラ!3つのアルゼンチン舞曲」
番外編2「色々あった2度目の大人の発表会」
4回目の「発表会」から2度目の「大人の発表会」まで
2015年4月に4回目の発表会終了後、バッハのパルティータ第2番シンフォニアとショパンのエチュード作品10−12「革命」でレッスンを再開しました。
バッハ:パルティータ第2番ハ短調
第6番までとりあえず全曲弾いたパルティータの中では、未だに弾けた気がしないという第2番。その中でもシンフォニアとカプリッチョは大変でした(先生の方が大変)。
バッハの音楽は神に捧げられたもの、奏者の感情を訴えるものではない。どこまで冷静に、淡々とリズムを刻むことができるか、拍の頭と裏箔との弾き分け、そしてその音型がどんなときも崩れないように丁寧にさらうこと。
これは今でも注意を受けていて、ときどき熱くなってしまったり、ふと気づくと自分勝手に色を塗ってしまったりしています。
この当時はそんなどころではなく、きちんと弾けてもいないのに自分の抱いたイメージを膨らませていました。思い出しただけで赤面してしまいます。
以下はアドバイス頂いた主な点です。
シンフォニア:
アンダンテでは、終始8分音符の左手が右手の32分音符に影響を受けて弾き方が変わってしまっている。右手の音は数は多いけれども大切な音は同じ部分の左手より少ないということを念頭に。アレグロは左右ともに16分音符が続くとダダーッと流れてしまいがち、タタタタときちんと刻むことを意識すること。要はタンギング。
サラバンド:
僕自身は気持ち良く弾いていたつもりでしたが「もっと淡々と」「歌ってしまってはダメ」。ついついこうなってしまいます。
カプリッチョ:
この曲が意味する「気まぐれ」。奏者がリズムを意識して安定して弾くことができないと、そのできあがりはそのまま「気まぐれ」になってしまいます。集中力を欠いてはダメ。
バッハ:パルティータ第3番イ短調
ファンタジア:
8分音符の弾き方、流れの作り方に注意。一方で16分音符はカタカタと機械的にうるさくならないように。16分音符が転んだりするとそこから走ってしまって台無しになってしまいます。
コレンテ:
3対1の付点8分の音価はもう少し長め。16音符単独のパッセージがときどき走るので落ち着いて。
ブルレスカ:
装飾音に気が行ってしまったり、聴くべき声部を聴いていなかったすることがあるので注意(指回りが無理だったり、油断したりするとそういうことになりがち)。
ジーグ:
左手の奏する声部が消極的に聴こえるため、もっとしっかりと弾きこむこと。
ショパン:エチュードハ短調作品10−12「革命」
🔸「革命」のネーミングはともかくとして、曲のストーリーを描きながら表情を変化させること。和音の変化に留意して。
🔸29小節目からの「講釈を垂れている部分」では、左手のパッセージは4拍目の裏がきちんと嵌るように弾くこと。右手はそれにきちんと乗っかった上でメロディーを活かすこと。
🔸65小節目の「希望の光」は前の小節から雪崩れ込まずに、光を感じること。
🔸全体の流れの中で表情が曖昧になってしまうところがあるので、そこをきちんと。
弾けている、弾けていない、から表情をどうするかというところまでようやく来たようでした。
ショパン:スケルツォ第2番変ロ短調
🔸476小節目以降、転調を繰り返すところのメカニックを解決すること。
🔸メリハリもさることながら、ひっかかったりごまかしたりすると全体の流れをぶった切ってしまう。
🔸3度現れるテーマ、2つの中間部の弾きわけなど。全体の構成を工夫しないと「飽きられて」しまいますよ。
最後の「飽きられる」は今でもよく注意を受けます。
僕は一生懸命弾いているつもりなんだけれども、部分最適にしかなっていないことが多いです。
また、録音を聴くと左手が大きく汚いところが散見されました。
右手とのバランス、弦の太さを意識して音を作る(よく聴く)ことは今でも課題だと思っています。
ショパン:バラード第1番ト短調
羽生結弦さんがショートで使ったあの曲です。
🔸音楽以前に、まず例の右手オクターブの連続、そして最後のコーダのプレストのメカを克服すること。
このメカの克服はかなり大変だったようで、レッスンでも取り出してみていただいています。
そして「難所!」と思うと身構えてしまってバランスを崩して、そのままなし崩し的に…ということもあったようです。
一方で、精神的にも力が抜けているときには、全体をうまく作ることができたようで、録音の一度前のレッスンでは「今日録音しておけば良かったね」と先生がおっしゃっていました。
ところが録音では…先生からは「貴方がそうだということではないけれども、ある種の傲慢さが頭をもたけることがあります」と。その通り「自分はこれだけ表現できる、聴いてください」的な感覚がありました。
録音を聴くと、自分ではやったつもりでも伝わってきませんでした。「気持ち良く弾いている」というのは単なる自己満足なんだということを痛感しました。
バルトーク:アレグロ・バルバロ
初回のレッスンでは、どんどん走っていく演奏になるんじゃないかという先生の予想を裏切り、アレグロというテンポはともかく、終始落ち着いた演奏になっていると驚いておられました。
テンポを上げて2度目のレッスンで録音。先生から「初めて録音ということを気にしないで弾けたんじゃない?」と言われた通り、自分の世界で余裕をもって弾けました。
まとめ
作曲家、そして作品の力は偉大かつ絶大で、僕のような演奏でも弾いている本人は満足感を得ることができます。
でも、それを聴いてくださる方に伝えるには力不足(作品が難しいということも含めて)だということを思い知った期間でした。逆に、右手ができていない理由は実は左手にあったり、裏拍への意識などバッハを続けたことで得たものも多かったと思います。
バルトークでは落ち着いた演奏ができたように、身の丈を考えた選曲が重要ですが、このあと取り組んだ曲は、なんと超難度のチャイコフスキーのスケルツォでした。次回お話しさせてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
👍 🎹とともに 🎼とともに 🤞
👋掰掰👋
コメント
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