【ピアノ/レッスン記2】ピアノレッスン再開後初の発表会本番

ピアノ
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前回は、幼稚園の頃にピアノのレッスンを始めて高校卒業までの様子、大学、就職後の中断から10年前にレッスンを再開したことについて、エントリーしました。お読みくださったみなさん、長々とおつきあい頂きありがとうございました。

今回は先生との出会いとレッスン、再開後初めてのそして数十年ぶりの発表会への道のりについて、綴っていきたいと思います。

それでは、さっそく始めていきますね。

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前回のお話

ピアノを始めた経緯やその後の様子などについて書いていますので、お読みいただければ嬉しいです。

再開のきっかけ

現在の先生はピアノとエレクトーンを教える一方、パイプオルガンを趣味で弾いておられます。先生を紹介してくれたのは、エレクトーンの生徒で、以前の勤務先で一緒に仕事をしていた同僚です。「発表会に出ない?」ということで。

先生の主宰する発表会には、この同僚が出演したときに伺ったことがありました。その当時は生徒さんの数も多く、ピアノもエレクトーンも、年齢層でも演奏曲でも多彩なものがあったことを覚えています。

今回お誘いがあったのは、生徒さんも減って時間があるので、知り合いがいれば誘ってみて!という経緯です。

初レッスン 2010年2月

2010年秋の発表会に出演させてください、とその年の2月に先生のお宅にご挨拶もかねてお邪魔しました。弾きたい曲の楽譜を全部持ってきてもらって相談しましょう、というノリだったので結構気楽に臨みました。

僕はすでにアルベニスの「スペイン組曲」のセヴィーリャとアラゴンにすることを決めていました。アルベニスが好きだったのと、少し頑張れば弾けるレヴェルの曲だと(そのときは)考えたからでした。

こちらがセヴィーリャ

こちらはアラゴンです(春秋社版、森安先生の編集・校訂・運指)。

先生:楽譜はありますか
僕:これがアラゴンで、こちらがセヴィーリャです(曲集はアラゴンを先に掲載しています)
先生:それじゃ、まずはセヴィーリャから弾いてみてください
僕:はい(!!??)

ということで、いきなり全曲通して弾くことになりました。

ピアノの先生にみて頂くのは高校時代以来で、大学時代のクラリネットを合わせても25年ほどぶりのレッスンで、深呼吸すらできずに頭が真っ白になったまま、結局なんとか2曲を通して弾いたという感じでした。

僕は当時、緊張すると走り出すという悪い癖がありました。演奏もインテンポで入ってしまって、冒頭から一杯一杯だったところに走ってしまい、自宅は電子ピアノ、先生のお宅はグランドというタッチの違いに戸惑いもあって、すべりまくりのデビューとなりました。特にアラゴンは途中で止めたかったほどでした。

それでも、通して弾いたあと、細かくチェックしていただいて、セヴィーリャは「次回で仕上がるくらいかな」、アラゴンの方は「テンポを落としてメトロノームにあわせて全体をさらい直いましょう」ということになりました。

レッスンは1ヶ月に一度でこの2曲のみで進めていくこと、余裕がありそうならエレクトーンとのアンサンブルも考えましょうということでした。

その後本番(2010年10月)直前まで

3度目のレッスンからは、音楽の内容に関する指示が増えて面白くなっていきました。ただ、なんとか弾いているもののメカニックな部分でさして進歩していないなという感じもありました(この曲は弾けるようになるのかも知れないけれど、ほかの曲だとどうかな?的な)。

アンサンブルはガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏することになりました。基本的にはヤマハから出ているエレクトーンとピアノのアンサンブル譜をそのまま使いました。合奏も久しぶりで楽しく、レッスン以外にもレンタルして何度も練習したことを思い出します。考えてみると、あのときほどアンサンブルの練習をしたことは、その後今に至るまでありませんね。

ピアノ単独でも、アコピに慣れようと、池袋のスタジオノアを2週間に1度、直前には毎週のように借りて練習しました。自宅から池袋は遠くはありませんが、ほとんど行ったことがないという近いのに遠い場所で、地下鉄から地上への出口のイメージもなく、スタジオに電話して道順を尋ねたことも一度ではありませんでした。こんなこともあって、自宅にグランドピアノを置くことを考えるようになっていきます。

発表会の直前には、夜中に目覚めて、暗譜がクリアでないことに苛々してなかなか寝つけず、わざわざ楽譜を確認したりというようなおバカなこともやらかしていました。夏になってからはレッスンも暗譜だったので、できている筈なのに思うと却って焦るばかりでした。

この半年、先生から、まずは最初の風景なり光景なりを思い浮かべること、それがコードや音型が変わる部分でどう変化するのか、そういった意識で表情づけをしていくと変わりますよ、と言われたことは、大人になってそんな発想もなかった僕にとっては大きなことでした。それから「呼吸」の重要性も。

本番 2010年10月

心臓がバクバクで、本当に緊張しました!

ニコニコしながらステージで挨拶するつもりだったのに、前の方々の演奏を聴きながら舞台袖で出番を待っていると、いくら深呼吸してもドキドキが治まらず、心臓が飛び出しそうになるのがわかるくらいでした。

正直なところ、ソロはやってきたことが全部出せたとは言えなかったと思います。

セヴィーリャは出だし表情が硬くて、テンポもやや速めになって、外してはいけないアルペジオの最高音が撥ねてしまったりしました。終盤になってようやく力が抜けていきました。

続くアラゴンは速く入ってしまって、途中でなんとか一旦テンポを落としてはみたものの、その後またまた加速という状態。ただ、かなり気持ち良い感じでドライブがかかっていたのも確かで、空中分解しそうになったところもありましたが、何とかリカバーして中盤から終盤にかけては充分に歌えて、ミスタッチもありましたが大きな流れの中で楽しく演奏できたのかなとは思います。

アンサンブルの方は、相手がいてくれるのでリラックスして臨めました。笑顔で挨拶もできましたし、演奏そのものもエンジョイして、ミスもまったく気にせずにクライマックスへ。最後の音が終わると会場が沸き「ブラヴォー」まで頂戴して、本当に気持ち良かったですし爽快でした。

ソロを終えた直後の休憩時間中に、先生のお母さまから「さっきは素敵な音楽を聴かせてくださってありがとう」と声をかけて頂いたことや、同じく発表会に出演された高校生のお嬢さんのご両親から「凄く良かった、音楽を続けてこういう演奏ができるのは羨ましい」と仰って頂いたことなど、僕にはもったいないお声がけを頂いたことはとてもありがたかったですし、本当に嬉しかったです。

こうやって久しぶりの発表会が終わりました。

現況報告

今、レッスンに持っていくのは、バッハの平均律とベートーヴェンのソナタ21番「ワルトシュタイン」の2つです。

そのほかに毎日の練習として、ドホナーニのエクササイズ、ハノンの39番のスケールと41番のアルペジオ、モシュコフスキーの15の練習曲(今は4番)。

指のエクササイズについては、YouTubeのこちらのサイト

ピアニストの福間洸太朗さんのYouTubeに刺激を受けました。めちゃくちゃキツいですが。

そして、空き時間に応じて、ラヴェルの「水の戯れ」(一度レッスンで弾いたものの、自発的にやり直しています)、ショパンのエチュード(今は10−4)、スクリャービンのエチュードとプレリュードの中から数曲とワルツを練習しています。

まとめ

最後までお読みいただきありがとうございました。

次回以降も発表会を一つの節目として、エントリーしていきますので、ぜひよろしくお願いいたします。

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