【吹奏楽/音源あり】出雲一中/北陵高校/出雲吹奏楽団 片寄先生追悼 その演奏を振り返る

吹奏楽
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いつもこのブログ「音楽徒然草」をお読みいただきありがとうございます。

出雲市立第一中学校吹奏楽部、出雲北陵高等学校吹奏楽部、そして出雲吹奏楽団を長年にわたって指導された片寄哲夫先生の訃報に接しました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今回は出雲一中時代の軌跡を振り返らせていただきたいと思います。

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片寄先生時代の出雲一中

片寄先生のご経歴に関するデータが手許にありませんが「出雲市立第一中学校吹奏楽部創部50周年記念演奏会」の動画の先生のインタビュー(お話)によると、昭和32(1957)年から13年5ヶ月(昭和45年)にわたって一中におられたそうです。

着任された時は28歳でいらしたとのことです。

その間の吹奏楽コンクールでの演奏記録を調べてみると、以下の通りでした。

1958、9年は関西大会に出場、1960年からは新設された中国支部で、異動なさるまで10年連続で中国大会1位、中国代表として全日本に出場されました。

1958 序曲「ラヴェンダーの花」:J.ニューマン(関西大会4位)
1959 序曲「ガラスの靴」:ヨーダー(関西大会)
1960 序曲「山の威容」:ヨーダー(中国大会1位・全日本5位)
1961 歌劇「ザンパ」序曲 :エロール(中国大会1位・全日本6位)
1962 序曲「ジプシーの姫君」:ヨーダー(中国大会1位・全日本7位)
1963 付随音楽「エグモント」序曲:ベートーヴェン(中国大会1位・全日本4位)
1964 歌劇「タンホイザー」より大行進曲:ワーグナー(中国大会1位・全日本4位)
1965 英雄行進曲:サン=サーンス(中国大会1位・全日本7位)
1966 歌劇「シチリア島の夕べの祈り 序曲 :ヴェルディ(中国大会1位・全日本)
1967 トッカータとフーガ ニ短調:J.S.バッハ(中国大会1位・全日本1位)
1968 交響曲第9番「新世界から」第4楽章 :ドヴォルザーク(中国大会1位・全日本3位)
1969 狂詩曲ジェリコ:グールド(中国大会1位・全日本3位)

トッカータとフーガニ短調、狂詩曲ジェリコの衝撃

僕が吹奏楽部に在籍していた頃、出雲一中の「トッカータとフーガ」は伝説のように語られていました。

得津先生率いる西宮市立今津中学校が全日本コンクール第1位を連続受賞していた当時、その今津中を凌いだ演奏、それも目にも止まらない鮮やかで現代的な「トッカータとフーガ」を聴いてみたいと思っていたところ、(おそらく)大阪心斎橋の三木楽器で見つけたのが「全日本コンクール名演集」でした。

そこには「こんなバッハもあったのか、さぞかしバッハも地下でびっくりしていることだろう」と地区大会で評されたとの片寄先生の寄稿コメントがありました。

このトッカータとフーガの現代版として採り上げた(如上のコメントに記載)のがモートン・グールドのジェリコ・ラプソディで、これもまたシャープで立体感も溢れた名演でした。

J.S.バッハ/E・ライゼン編:トッカータとフーガニ短調BWV565

M・グールド:狂詩曲ジェリコ

旧ブログ投稿記事「2006年5月22日 出雲市立第一中学校吹奏楽部」

15年以上前ですが、僕が出雲一中について投稿した記事を抜粋して転載します。

(略)

指導する先生によって水準が大きく左右される中学校の中にあって、何度も先生が交代する中で全日本に35回(2006年当時)も駒を進めた出雲一中は、圧倒的な別格ということで、敢えてコメントさせて頂こうかと思います。

本来であれば生演奏に一度くらい接していておかしくないのですが、実は一度もライブは聴かせて頂いておらず、録音、それもコンクールの音源のみ。

スケールの大きな堂々たる響きの片寄哲夫先生
丁寧なアンサンブルから美しい音楽を紡ぎ出す渡部修明先生
ハイレベルなテクニックを最大限に生かしつつスマートな音楽を作り上げた錦織雄司先生
伝統を守りつつも新しいサウンド・音楽を追求し続けておられる原田実先生

少々(かなり)乱暴ですが、僕の持っている大掴みな印象です。
中でも僕の現役時代に様々なインパクトを受けたのが渡部、錦織両先生の時代。
(片寄先生のトッカータとフーガやジェリコの印象は、ある意味別格で強烈)

実は一番最初に聴いたレコードは

舞踊組曲「ダフニスとクローエ」第2番より日の出、全員の踊り(プログラム表記そのまま)

奇を衒うわけでもなく、丁寧なアンサンブルから生まれた自然な音楽、それも中学生の演奏は圧倒的な存在感をもってボクの心に迫ってきました。

海外のプロのレコード録音ならいざ知らず、国内のオケではベートーベンやブラームス、チャイコフスキーしか聴けなかったこの当時、ダフクロを演奏されたのを聴いたのはワセオケくらいだったと思います。

45人編成の約1/3を占めたクラリネット群が色んなところで大活躍、同じクラリネットを吹いていた僕には大きな刺激となったのも事実です。

素朴な語りかけの一方で洗練された演奏の「吹奏楽のための寓話」
輝かしい金管と鮮やかな木管、打楽器のスパイスが素敵だった「祝典序曲」
見事なアンサンブルで楽しいカーニバルを描いた「ローマの謝肉祭序曲」
繊細さと冷静さをもってスケールの大きな物語を作った「シェヘラザード第4楽章」
驚くべき立体感でドビュッシーの世界を表現した「イベリア第2・3楽章」
圧倒的なテクニックで大きなスケールの中でも小気味良く情景を描いた「イタリア奇想曲」

挙げればキリがありません。
特に82年の「火の鳥」は、フィナーレに焦りが感じられたのは少し残念だったものの見事で、どうして銅賞だったのか、一体全体さっぱり理解できませんでした。

中学校の吹奏楽が日本の吹奏楽をリードしていた時代を知る僕にとって、出雲一中は特別な存在、これからも益々のご活躍をお願いします!

まとめ

昭和32年に赴任されたとき、28歳でいらしたとのことですから、享年90を超える大往生でした。

片寄先生、安らかにお眠りください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

👍 🎹とともに 🎼とともに 🤞
👋掰掰👋

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