【ピアノ】畠山陸雄/ディヌ・リパッティ 伝説の天才ピアニストー夭折の生涯と音楽

ピアノ
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ディヌ・リパッティはルーマニアの音楽家、20世紀における世界レヴェルの大ピアニストの一人です。

些か「過去の人」的な捉えられ方をされるきらいもあり、実際1950年に亡くなっていることから、それも当たらないわけではないのですが、33歳の若さで夭折したリパッティの演奏は今でも燦然と輝いています。

そのリパッティの生涯を、その祖国ルーマニアの近代史、音楽事情とあわせて紹介したのが、2007年に刊行されたこの著作です。

今回はこの作品について紹介していきます。

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著者畠山陸雄さんについて

この著作の紹介ページからそのまま転載します。

国際基督教大学で音楽史を辻壮一氏に学ぶ。

出版社勤務の後、東京・武蔵野市が友好都市のルーマニア・ブラショヴ市に開設した武蔵野文化センターの交流協力員として駐在。

2000年より1年半両市の交流のため尽力。その後、引き続きブラショヴ市に在住し、ジョルジェ・エネスク、ピアニストのクララ・ハスキル、ディヌ・リパッティなどルーマニア出身の音楽家について調査、研究。

ディヌ・リパッティについて

1917年3月19日 ルーマニア王国ブカレスト生まれ

父はサラサーテやカール・フレッシュに師事したことのあるテオドル・リパッティ、母はピアニストのアナ・ラコヴィチェアヌ。ジョルジェ・エネスクが代父(洗礼式に立ち会って名を与え、霊魂上の親として宗教教育を保証する)

リパッティ自身が学校に通うことはなく、ブカレスト大学の教授陣が家庭教師として教育を与える(その先生の一人がフロリカ・ムジチェスク)

1934〜1939年 パリ・エコールノルマル音楽院にてコルトー、デュカスに教えを受ける(コルトーは、1933年に開催されたウィーンでのコンクールでリパッティが1位を受賞しなかったことに抗議して審査員を辞任(リパッティは第2位))

1939〜1943年 ローマ、ウイーン、ベルリン、ブラチスラバ、ソフィアでリサイタル開催

1943年 婚約者マドレーヌ・カンタクジノとストックホルムでのリサイタルのためにルーマニアを離れ、以来母国には戻らず

1944〜1950年 スイス在住、ジュネーヴ郊外で死去(幼少の頃から病弱だったとされる、死因はホジキンリンパ腫)

ディスコグラフィー

生誕100年を記念した12枚組BOXが2017年に発売されました。

ディヌ・リパッティ生誕100年記念BOX

この著作が刊行された当時はEMIから6枚組が出ていました。

ディヌ・リパッティ 伝説の天才ピアニストー夭折の生涯と音楽

目次

プロローグ

第1章 天才ピアニストの誕生

01 ディヌ・リパッティの誕生とその時代ー1917年、ブカレストにて
02 修業時代 生涯の師ミハイル・ジョラとフロリカ・ムシチェスクー愛情と謙虚を教えの基礎に
03 ブカレスト音楽院卒業の頃ー天才のデビュー、絶賛を博した演奏会
04 パリへーコルトー、デュカ、エネスクから学んだもの

第2章 パリでの活躍と大音楽家たちとの出会い

05「精神的な母親」ナディア・ブーランジェとの出会いー作曲家としての悩み、演奏家として花開く日々
06 音楽批評家の顔ー聴き手としての好奇心と一級の批判力
07 クララ・ハスキルとの出会いと交流ー魂の友への愛と信頼
08 マドレーヌ・カンタクジノとの出会いー共演者として、妻として
09 再び祖国に帰ること能わずー望郷の想いを演奏に
10 ウォルター・レッグとの出会いー伝説のプロデューサーの手腕

第3章 病と愛と才能と

11 高まる名声と病気との闘いー「なぜ死ぬことを考えながら生きなければならないのでしょうね」
12 教えることは学ぶことー「優れた曲に対しては尊敬でなく愛しなさい」
13 晴れて夫婦にーマドレーヌとの結婚 過ぎゆく日々に心を込めて
14 最後の日々ー病の床から 最高の録音演奏を目ざして
15 最後の演奏会ー白鳥の歌

エピローグ

年譜
付録(参考文献・演奏レパートリー・作曲作品一覧・ディスコグラフィ)

あとがき

ディヌ・リパッティ 伝説の天才ピアニストー夭折の生涯と音楽
畠山陸雄著 株式会社ショパン刊

まとめ

音楽的に恵まれた家庭環境に生まれ幼少の頃からその才能を発揮、ムシチェスクという素晴らしい指導者との出逢い、音楽的にはエネスクが父、ブーランジェを母とし、コルトーとの親交、デュカへの師事、クララ・ハスキルと彼の最後を看取った妻マドレーヌを中心に病魔との闘いや教育者としての一面に至るまで、極めて客観的に描かれています。

余命いくばくもない時期のブザンソンのリサイタルはもちろんのこと、まさに死の直前1950年7月のラジオ・ジュネーブでのセッションは、良薬に出合ったおかげというその言葉とは裏腹に、何とはなしに迫り来る死を予感した彼の執念、そしてどうしても彼の演奏を残しておきたいという関係者の熱意に頭が下がる思いです。

付録の「レパートリー」を見ると、リストのピアノ協奏曲第1番が青年期の重要なレパートリーであったことや、ラヴェル:クープランの墓、ドビュッシー:喜びの島、アルベニス:トゥリアーナもレパートリーであったことがわかります。また「ワルトシュタイン」や「交響的練習曲」までライブ録音されていた可能性もあったようです。

33歳でこの世を去った天才ピアニストの生涯、レッスン、曲の取り組み方など、恩師への手紙やインタビューから書き表したものを見るにつけ、音楽への真摯な態度と人間性が素晴らしいと思います。

書店の店頭では見つけることが難しく、Amazonでも高価な中古品しかないようです(もとの定価は1,900円+税)が、図書館や古本屋さんで見つけたらぜひ手に取ってお読みください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

👍 🎹とともに 🎼とともに 🤞
👋掰掰👋

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