【吹奏楽/音源あり】1970/第18回全日本吹奏楽コンクール 大学/職場/一般の部

吹奏楽
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音源情報を更新しました。

吹奏楽の甲子園ともいわれる「全日本吹奏楽コンクール」は1940年に初めて開催されました。戦後は1956年に第4回として復活、以降「中学・高校・大学・職場(2009年度より一般に統合)・一般」の各部門で毎年開催されています。

1970年からはそれまでの1位、2位、3位の順位表彰制から金銀銅のグループ表彰制となりました。今回はグループ表彰初回の1970年の高校の部の演奏について見ていきましょう。

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第18回(昭和45年度 1970年)全日本吹奏楽コンクール

開催日時 渋谷公会堂(東京都)
開催場所 1970年11月3日
課題曲
中学校の部 オラトリオ「サムソン」序曲(ヘンデル/P.ホエアー編曲)
高等学校以上の部 音楽祭のプレリュード(A.リード)

出場団体(自由曲、指揮者)と審査結果一覧

大学の部

団体名 指揮 結果
自由曲
1 東北代表 岩手大学 葉山良一 🥈
海の肖像:ラ=ガッシー
2 東海代表 愛知大学 国井政夫 🥈
交響的序曲:カーター
3 関東代表 神奈川大学 原田俊治 🥈
太平洋の祭り (平和の祭り):ニクソン
4 東京代表 日本大学 杉山由展 🥇
エヴォケーション:マッケイ
5 関西代表 関西学院大学  平山哲一 🥇
プレリュードとダンス:クレストン
6 西部代表 福岡大学 尾木恒雄 🥇
ファンタジア ト長調 :J.S.バッハ/R.リースト、E.F.ゴールドマン

職場の部

団体名 指揮 結果
自由曲
1 東京代表 ヤマハ吹奏楽団東京 高倉正巳 🥈
歌劇「キャンディード」序曲:バーンスタイン
2 西部代表 ブリヂストンタイヤ久留米工場吹奏楽団 小山卯三郎 🥇
交響詩「タッソー、悲劇と勝利」:リスト
3 東北代表 新日本製鉄釜石吹奏楽団 西村昌次 🥈
歌劇「アレッサンドロ・ストラデルラ」:フロトー
4 中国代表 電電中国吹奏楽団 佐藤正二郎 🥈
歌劇「運命の力」より序曲:ヴェルディ
5 関東代表 日立鉱業所吹奏楽団 本間登志男 🥉
吹奏楽のためのファンファーレとソリロクイ:シャープ
6 北海道代表 新日鐵室蘭吹奏楽団 小田才助 🥈
歌劇「フィデリオ」序曲ベートーヴェン
7 東海代表 ヤマハ吹奏楽団浜松 原田元吉 🥇
ヤマハ・コンチェルト:ネリベル
8 関西代表 石川島播磨重工業相生音楽研究会 西角義一 🥈
序曲「イシターの凱旋」:オリヴァドーティ
特別演奏
関西 阪急百貨店吹奏楽団 鈴木竹男
序曲1812年:チャイコフスキー
バーナムとベイリーのお気に入り:キング

一般の部

団体名 指揮者 結果
自由曲
1 中国代表 出雲吹奏楽団 矢田稔雄 🥈
付随音楽「エグモント」序曲:ベートーヴェン
2 関東代表 船橋吹奏楽団 武藤英明 🥈
楽劇「神々の黄昏」より ジークフリートのラインの旅:ワーグナー
3 東北代表 北上市吹奏楽団 沢藤彰則 🥉
歌劇「シバの女王」:グノー
4 東海代表 蒲郡市吹奏楽団 山本 誘 🥇
ローマの謝肉祭序曲:ベルリオーズ
5 関西代表 尼崎市吹奏楽団 辻井清幸 🥇
劇的物語「ファウストの劫罰」よりラコッツィ行進曲:ベルリオーズ
6 東京代表 乗泉寺吹奏楽団 吉田太美男 🥈
吹奏楽のための序曲:メンデルスゾーン
7 北海道代表 札幌青年交響吹奏楽団 坂井 繁 🥈
歌劇「タンホイザー」序曲:ワーグナー

3部門の出場団体の数が拮抗していることは特筆すべきでしょう。職場の部が、ほかの大学の部、一般の部よりも出場団体が1団体とはいえ多いということは、高度経済成長の時代を反映しているのでしょうが素晴らしいことでした。また、11967〜69年3年連続第1位であった阪急百貨店が特別演奏で、チャイコフスキーの大序曲1812年の全曲演奏を披露しています。

ヤマハ吹奏楽団の自由曲「ヤマハコンチェルト」は、当時の指揮者であった原田元吉さんがネリベル本人に委嘱した作品です。ヤマハにしても、ブリヂストンにしても、この当時から現在に至るまで全日本コンクールに出場していることは素晴らしいことですね(実は、この4年後の神戸大会の年、ヤマハは東海地区大会で代表の座を逃すのですが、それについては機会があれば書いてみたいと思います)。

結果を見ると、大学の部は金賞と銀賞が同数で銅賞なし。職場と一般には銅賞が1団体だけ出ているのはなかなか厳しいですね。

音源を探る

日本大学


関西学院大学

プレリュードとダンス

ヤマハ吹奏楽団

ヤマハコンチェルト

ブリヂストンタイヤ久留米

音楽祭のプレリュード

阪急百貨店吹奏楽団

大序曲1812年

バーナムとベイリーのお気に入り

蒲郡市吹奏楽団

尼崎市吹奏楽団

ラコッツィ行進曲

日本大学の演奏は、SONYから発売されていたレコードへの収録がありませんでしたので、貴重な資料ですね。当時の様子をうかがい知るには音源が足りませんが、この当時の阪急百貨店はやはり燦然と輝く存在だったと思います(この大会は前年度まで3年連続1位のため招待演奏です)。

まとめ

自由曲としてベルリオーズを採り上げるということが、まだ新しいとされていた時代ですね。「ラコッツィ行進曲」も「ローマの謝肉祭」も、昭和40年代に入って西宮市立今津中学校が、ベルリオーズの作品を選曲していたことも影響していたのではないでしょうか。音源がなくなってしまいましたが、蒲郡市吹奏楽団は個人技術、合奏技術そして音楽性と、当時としてはピカイチの安定感を誇っていました。この大会でも山本先生のタクトの冴えた素敵な演奏で、今は当たり前かも知れませんがイングリッシュホルンの音も聴こえました。

関学とヤマハの選曲に見られるような、新しい響きを聴くことができるようになってきたのも、この時期の特徴かと思います。歯切れの良いリズムが必ずしも得意ではない関学が、クレストンのこの曲に挑んで見事にキメることによって、さらに斬新な選曲に突き進んでいったのではないか、と後から振り返ると感じます。

翌1971年の第19回大会は大阪のフェスティバルホールに会場を移して開催されます。

Viva! 吹奏楽!

コメント

  1. […] […]

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